不景気、物価上昇、コロナ・・・。などなど暗い話が続くのは、もう仕方ない話。そんな大きなことに左右されていても、気を取られていても仕方がない。
僕からすれば、本当に世の中が不景気なのか?と疑うこともある
金がないと言いながらも
デパートの買い物袋両手に持ったり、携帯を保持していたり、二年に一度は交換したり、テレビを大きなものにしたり、旅行に行けたり、昭和の頃から考えると、あまりにも人は裕福だと思う。
お金なんて、少ない、足りない、無いと思っている人にとっては、どんなに手にしても思い続けてしまうもの
よく年収300万と600万の人との心の裕福度を測ると、ほとんど同じみたいですね。ただ少しいい家に住んだり、いい車乗ったり、良いもの食べたり、良い服着たり・・・。結局使っちゃうんですよ。それでまた上を見ては、足りないな、もっと欲しいなぁとか。
結論、お金にとらわれるなということを言いたかったのですが、生きていること、ありのままの自分自身が好きではないからこそ、何か不足感を感じ、物で満たそうとして、お金を必要以上に使っちゃうんですよね。シンプルに生きる、スローライフ生活などもあるように、本当に必要物、必要なこと、自分の人生を優しく労わってあげる。そんな暮らしや、意識を整えるだけで、ずいぶん物欲も変わってくると思います。
僕はマラソンをしてるから、マラソンに例えちゃうんですけど
フルマラソンを4時間目指して練習していた人、達成したら次は3時間45分、3時間30分・・・、3時間てなるんですよね。
これってもちろん走るんが好きで、自分の成長が楽しいからやり続けている人ならいいんだけど
目標を達成することがやりがい、達成感を感じる、幸せを感じるからとなると
止まらないですよね。そしてよくやりがちなのは、必要以上の練習をして怪我・・・・。
この目標時間をいうものが手に入った瞬間はうれしいけど、そんな感情はすぐに消えていく
また新しい刺激を求めて、人はもっともっととなってしまう。
300万の車を買ったら次は500万の・・・
そして外車・・・もっといいのが欲しい。
人の欲はとどまることがなく、怖いものです。
マラソンで言うなら、走ってることがただただ好き
お菓子を作っているのが好き
子供といる時間がとても幸せ
今日も一日生きていることが幸せ
何かを得て幸せを感じることも、人間なのですればいいと思いますが
いま生きている、この瞬間が楽しく、有意義なもので幸せを感じれれば
おのずと物もお金もいらない、というか執着しなくていいのかなと思います。
話は矛盾しますが
資本主義社会なのであったほうが、より生きやすいのは間違いないと思いますが
次は給料をあげたい!について話をしようと思います。